「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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新型肺炎に思う、これからの中国

  以前、中国で一緒に働いていた知人が、現在は華北の某市に住んでいます。連日の報道にだんだん心配になり、先週メールで現地の状況を問い合わせてみました。帰ってきた返事は「マスク不足でほとんど外出できなくなってしまい、実に困っている」とのこと。

 わずかでも送ってあげれば助けになるかと思い、さっそく鳥取市内のドラッグストアやスーパーを数軒回ってみました。しかし、どこに行っても、本当にマスクがない!どこの店でも、マスク売り場だけがほぼ空っぽという異常な状態。数個だけ棚においてある店もあったが、その横には「一家族につき一個だけ販売します」との張り紙。これではどうしようもない。

 家に帰って家族に話したら、「先月から既にマスク不足、世間知らず。」と笑われました。これだけマスク不足が深刻だとは思わなかった。もしも、これから日本でも感染が広まってしまったら、我々もマスク不足で苦しむことになりかねない。

 そんなこんなで心配になり、今回の新型肺炎の蔓延状況について改めて調べてみました。

・死亡率 「新型ウイルス、全国の死亡率は2.1%、 武漢は4.9% 中国衛生当局」

 「2/4の時点で、死者は湖北省に集中していて全国の97%を占め、湖北省の確定感染者の死亡率は3.1%。武漢市の死者数は全国の74%を占め、武漢市の死亡率は4.9%」。対して「湖北省を除くその他地域の死亡率は0.16%」とのこと。

 武漢市の死亡率が異常に高いのは、既に感染してしまった膨大な患者数に対して医療体制が全く追い付いていず、実質的に医療現場が崩壊してしまっているためと推測されます。発生患者数が少ない湖北省以外の中国国内では、従来の医療体制で対応できるために症状が悪化する例は極く少ないようです。

 

・日本国内での蔓延の危険性について

 医療当事者による最近の記事を以下に三件紹介しておきます。上に述べた「湖北省以外の中国国内」と同様に、患者の発生が単発的であれば現在の日本の医療体制で十分に対応できるので、それほど恐れる必要はないとのこと。用心するに越したことはありませんが、健康な人に関しては通常のインフルエンザよりも少し危険度が上がるという程度のようです。ただし、免疫力が低下している高齢者、および持病を持っている人に関しては、十分に注意する必要があります。

「新型コロナウイルス、メディアは危険性を強調しすぎ? 専門家「日本の感染拡大予防策はおおむね成功」」

「新型コロナウイルス感染症 実際に診た医師の印象」

「ワクチンも治療法もない新型肺炎。一般人ができる最大の「防衛策」は?」

 
 さて、この新型肺炎騒動は今後の中国に対してどのような影響を与えるのでしょうか。経済的な影響については連日のように報道されているので、あらためてここに書くまでもなく、以下、社会的な側面について考えてみたいと思います。

 そもそも、武漢でこれほどまでに感染が広がった原因が、湖北省武漢市の幹部に蔓延している「上部からの指示待ち」体質にあることは明らかです。

「新型肺炎は人災、「習近平に追従」で出世の弊害露呈 」

 上ばかり見上げては上司からの評価に一喜一憂し、人民の困窮に目をそらして彼らから取り上げた税金に寄生しているだけの「ヒラメ官僚」や「カレイ小役人」の増加はなにも湖北省だけに限ったことではないらしい。政治体制がトップダウンになればなるほどに、この種の役人が増えていくのは間違いない。中国に限った話ではなくて、長期政権が続く日本でも同様に隠蔽官僚が増えていることは、日々の新聞の紙面を見ればすぐに判ることだ。

 ただし、日本の役人の隠蔽体質がまだ中国ほどにはひどくないのは、日本社会の意思決定プロセスが主としてボトムアップによっているためだろう。組織の中に気骨ある人間が存在する場合には、部下であっても上層部に対して上からの方針と異なる対案を逆提案することもおおむね許されている。日本社会の弱点は、むしろ、組織の上層部があまりにもリーダーシップを取りたがらないという点にあると思う。

 先月末から一連の新型肺炎に関する記事を読んだり見たりしていて、筆者が注目したのは一週間ほど前に見たTBS系列のテレビ報道でした。武漢市内の医療スタッフが出勤の交通手段の確保ができずに困っている中、ボランティアの青年が無償で自分の車を運転してスタッフを病院まで送り届けていました。市政府があてにならないので、自分たちで自主的に行動する姿勢が生まれつつある。

 このようなボランティアの登場は、2008年の四川大震災の辺りから目立つようになってきています。無能で隠蔽体質の役人を批判していても一向にラチがあかないので、自ら行動して社会を良くしていこうという積極的な市民が増えているようです。

 もう一つ注目した記事は、ボランティアの登場とは対照的な、復古的な動きについてのものです。

「新型肺炎ショックが、中国共産党の「致命的弱体化」をさらけ出した」

 中国の伝統的な統治体制では、科挙中央政府に採用された役人は全国各地を転々と異動するのですが、彼らの統治は県レベルよりも上の領域にとどまり、県を構成する数多くの農村集落内の統治はそれぞれの集落の自治に任されていました。集落は主として父系を同じくする宗族ごとに構成されており、現在でも「李家村」(李家の村)とか「王家村」(王家の村)というような集落名が至るところに残っています。

 中央政府の法律は集落内までは及ばず、現代でも中国人が国の法律を軽視する傾向にあるのは、この伝統が影響しているようです。また、中国人の、いったん人間関係ができた人に対しては非常に手厚くもてなすが、無関係な人に対しては極めて冷淡な傾向があるというのも、この宗族意識の延長線上にあるのではないかと思います。「国家は税金を取り立てるだけで、結局はあてにはならない。本当に頼りになるのは、親戚をはじめとする身内だけ。」というのが中国人の本音でしょう。

 この宗族を基本とする集落自治体制は、1949年の共産党政権の成立後に徐々に解体され、1966年から始まった文化大革命で個人が直接共産党に結び付くことを強制されたことにより、いったんは完全消滅したかのように見えました。しかし、結局、共産党は宗族に代わる新たな中国社会の紐帯とはなりえなかったようです。今世紀に入ってからの中国共産党による法輪功への大弾圧、最近の無認可キリスト教会に対する大規模な打ちこわしなどは、国民相互を結びつける社会の紐帯としての宗教団体の台頭を中国共産党が何よりも恐れていることの裏返しです。

 話は脱線しますが、華南の工場で働いていたころ、休日に市内の仏教寺院を訪問したことがありました。意外に思ったのは、参拝者の多くが若い世代であり年配者が少なかったことでした。若い世代ほど精神的にすがる何かを求めているように見えました。ちなみに、お寺の壁には「中国仏教界は、中国共産党の全面的な指導の下に活動しています」というような意味の文章が大きく掲げられていました。

 今回の新型肺炎騒動がなかなか収束しない場合、あるいはこれがきっかけで中国経済が大幅に落ち込んだ場合、習近平体制の信頼の失墜は当然予想されることです。国民に選挙で信任されていない中国共産党がその独裁的統治の正当性の根拠としているのは、かっては「侵略者の日本軍を追い出した」ことでしたが、現在では「順調な経済発展により国民をみな豊かにするという政府の約束と、それに対する国民からの期待」にしかありません。いったん経済が落ち込めば、「かっての宗族集団や地域小集団の方が、共産党よりも頼りになる」という意識が生まれかねません。

 昔の貧困な中国を知っていて「中国の急速な経済発展は共産党の指導のおかげ」と考える傾向が強い文革経験世代は既に中国国民の半分以下となり、順調な経済発展の時代しか知らない四十才台以下が国民の過半数となっています。経済のつまづきが中国政治の大転換に直結することは大いにありうることです。

 中国経済の動向は各都市の不動産価格の動向を見るのが判りやすいと思います。中国人が日本に来て爆買いができるのも不動産価格の高騰があればこそです。現在の大都市のマンション価格は既にかっての日本のバブル期以上と言ってよく、中央政府は不動産価格の急落を必死になって食い止めようとするでしょうが、今回の肺炎騒動をきっかけにいつ暴落が始まってももおかしくない。中国経済がパニック化すれば日本経済に与える影響も深刻でしょう。今後の中国の地価動向に要注目です。

/P太拝

いい記事がありましたので紹介します

今日、ぼんやりとあれこれいろんな記事を読んでたら、なんともいい記事がありました。以下、紹介しておきます。なんだか、現代の神話を読んでいるような気分になりました。

「甘えない男の子に渡せなかったぬいぐるみ 27年後にかけた言葉」

藤元さんやお二人の老夫婦のような人たちが増えたら、もっと住みやすい世の中になるのでしょうね。

人に期待ばかりしていないで、まず自分がそうなるべきなんでしょうけど。

/P太拝

少し以前の中国(2)-食事-

今回は中国の食事に関する話題です。

・主食

 先回書いたように、華北より北では米ではなく麦類が主食で、米の炊き方を知らない主婦や、炊飯器を持っていない家庭も多い。小麦を挽いて粉にし、食卓に並ぶ時にはマントウ、麺類、餃子などに姿を変えている。マントウ(饅頭)は具が入っていない蒸しパンのようなもので、朝食や昼食時にはよく食べられている。最初に食べた時には「全然味が無い、マズイ」と感じたものの、周りにならってスープに漬けたりオカズを載せて食べているうちに、だんだんと麦本来の味を感じるようになりました。

 麺類は、一般的には、はっきり言って全然おいしくない。華北のある程度の店での食事では、最後に小鉢に入れた麺類が出て来るが、ほとんど味のないスープに、これまたコシの無い麺が浮かんでいる。主菜には色々と工夫を凝らしはするものの、こと麺類に関しては美味しくしようとする努力が全然見られない。日本に来た中国人が日本のラーメンを称賛するのも、これでは当然と言う感じでした。

 ただ、例外的に、福建省あたりの郷土料理?らしい小エビ入りの麺には合格点が付けられる。透明なスープに細い麺、上に小エビと香菜(シャンツァイ。タイ料理のパクチー、欧米のコリアンダーと同じもの)が散らしてあり、細い麺にすっきりとした味のスープがからんで、けっこう美味しかったです。

 もう一つの例外としては北西部の「蘭州牛肉麺」が美味しかった。蘭州は内モンゴル新疆ウイグル自治区の間にある陝西省省都イスラム教を信仰する回族が多い。回族の彼らは中国各地の至る所に進出して「蘭州牛肉麺」の看板のかかった小さな店を出しており、少し大きな町ならどこでも食べることができます。いわゆるハラール料理の一種。
 牛肉からとった透明なスープに細い麺がひたしてあり、上に小さな牛肉片と香菜が載せてある。スープがおいしくて、毎回全部飲み干していた。量が少ないので、本格的な食事と言うよりは、小腹がすいた時に飛び込む店という感じ。1食で日本円で百円強くらいでした。店頭では、回族特有の白い帽子をかぶったご主人が小麦粉の塊を両手を広げて何度も伸ばして細い麺を作っていました。文字通りの拉麺(引っ張って作る麺)です。去年あたりだったか、東京にこの「蘭州牛肉麺」の店ができて、ずいぶん繁盛しているとの記事を読んだ覚えがあります。

 長江周辺から南は一転して米飯が主食。米の種類はタイやインドで食べられている細長いインディカ種ではなくて、大半が日本と同じジャポニカ種。味や食感はそこそこだが、中国産の米の問題点は、なんといってもカドミウム汚染の問題。十年位前には中国国内でもかなり報道されていて、当時の報道内容はバラバラだったが、少ない数字で中国国内産の米の一割、多い数字では約四割がカドミウムの許容値を超えていたとか。習近平時代になってからは自由な報道がほぼ不可能になってしまったので、最近の実情はよくわかりません。これでは、富裕層が日本産の米を求めるのも、もっともなこと。

 米の汚染の原因は、特に華南地区の鉱山開発や国内各地の工場排水のためとのこと。華南地区の山地の上空で飛行機の窓から下を見下ろすと、あちこちの山でレアアースなどの鉱山開発の土砂がむき出しになっていた。華北では一時的に自炊可能なマンションに数人で住んでいたことがあるが、その時には中国の東北地方産の米を買っていました。東北地方産のコメは汚染が少なく、味も日本産の米に近いとされています。

 筆者は、鳥取市内にかって存在したラーメンチェーン店Y屋のランチAセット(ラーメン+半ライス+餃子)が好きでよく食べていましたが、中国人が見たら眼を白黒させるでしょうね。「どこにオカズがあるんだ!三つとも主食ばかりじゃないか!」と。 

・料理
 一般論としては、中国人が一日に食べる野菜の量は、日本人よりもはるかに多いと感じます。昼食や夕食には、野菜だけとか野菜と肉や魚の炒め物がたいていニ、三皿は出て来る。野菜摂取量は普通の日本人のニ、三倍はあるんじゃないでしょうか。もっとも、その野菜や油が安全かどうかが大問題ですが。この種の中国での食の安全については、書き始めるとキリが無いので、別の機会に回したいと思います。

 膨大な種類がある中華料理についてこのブログで逐一コメントするのは到底無理なので、以下、思い出すままにいくつかを挙げておくだけにします。

火鍋」(フオグオ)
 最近は日本でも食べられるようになったとか。火鍋の発祥地は長江上流沿いの重慶市四川省とされているが、筆者が最初に火鍋を食べたのは北京市内でのことだった。
 中国人の工場長に案内されて日本人同僚も含めた三人で火鍋店に入ると、テーブル上には真ん中を金属板で仕切られた不思議な構造の大きな鍋が置いてあった。鍋の半分には真っ赤なスープが、残り半分には白いスープが入っていて、その表面が結構な厚さの油の層で覆われている。傍らのテーブルには肉、豆腐、何かの血を固めた寒天状の切身、山盛りの野菜等々。

 まず箸で肉をつまみ、シャブシャブ同様に煮えたぎる真っ赤なスープ中で肉片を数回振り、色が変わるのをみてから口に入れたら、辛い! 元々辛い物好きの自分ではあるが、経験した事のない「私上最強」の辛さ!その後はもっぱら白いスープ専門に転向。一方、中国滞在が既に数年の同僚と工場長は、慣れた手つきで赤いスープ専門でパクパクやっている。そのうちにこの二人、アルコール分50度弱の白酒(バイジュウ)を注文して二人で飲み比べを始めた。こちらは時々赤いスープに挑戦してはその都度退散、ビールで口をゆすぎながら飲み比べを見物。そのうちに二人ともロレツが怪しくなり、一瓶空けるころには酔いつぶれてしまった。翌朝、二人とも普段どおりにシャンとしているのにはビックリした。 

 この赤いスープには大量の唐辛子と花椒(フアジャオ)が入っていて、麻婆豆腐と同じ味付けとのこと。それにしても、火鍋は麻婆豆腐よりもはるかに辛い。以前の火鍋店は仕事仲間や家族数人で入る場所と決まっていたが、最近の中国では一人でも入れる火鍋店が登場、女性がスマホ片手に一人で鍋をつついている光景が見られるようになったとのこと。日本でも、女性が一人で吉野家で牛丼を食べていても何の違和感も感じなくなりました。日本でも中国でも、最近は世の中の常識が急速に変わっていくご時勢なのでしょう。

北京烤鴨」(ベイジンカオヤー)
いわゆる「北京ダック」。焼いたアヒルの皮を削ぎ切りにして、ネギの薄切りや味噌などと一緒に餃子の皮のようなものにはさんで食べる。日本でもどこかで食べたような記憶はあるが、中国ではじめて食べたのはこれも北京にいた時のこと。北京市内には「北京烤鴨」の有名店がいくつもある。初めは美味しいけれど、アヒルの皮の脂が多いせいか、そんなにたくさん食べられるものでもない。結局、かなりの肉を残してしまうことが多かった。

 中国では、店で食事をした際に残った料理を持ち帰る「打包」(ダーパオ)という習慣があり、店員に頼めば袋や容器などを持ってきてくれます。フードロス問題が深刻化している現在、日本でもまねして見てはどうでしょうか。

 北京での滞在は2006年から2007年にかけてのことが多かったが、オリンピック前の北京はまだ現在のように高層ビルが林立するほどではなく、大通りを荷車をひいた馬が歩いている光景を見て驚いたこともありました。行くたびに地下鉄の新しい駅が出来、車の大渋滞も頻発するようになり、古い街がどんどん壊されていく時期でした。

揚州炒飯」(ヤンチョウチャーファン)
 平日は工場の食堂で昼食を食べていたが、休日の昼食は街をブラブラ歩いてその辺の食堂で取ることが多かった。よく食べたのが揚州炒飯でした。細かく切ったチャーシューやグリンピース、コーンなどが入っている日本でもよく見かける典型的なチャーハンだが、なぜか当たり外れがなくてどこで食べても美味しい。使っている油はラードのはずなので、そこが違うのかもしれません。

辣子鶏」(ラーツージー 鶏肉の唐辛子炒め)
 ビールのつまみとして食事の最初によく注文していました。華南ではよく食べていたが、華北では店のメニューにはあまり載っていなかった。元々は重慶・四川あたりの料理らしい。辛い!辛いけれど、慣れるとやみつきになる。「ああ、また食べたい!」

酸辣湯」(スァンラータン)
 酸味が強烈な辛いスープ。華南にいた時に初めて食べたが、その夜はお腹がポカポカと暖かく、さらにゴロゴロと鳴り続けて夜中まで寝つけなかった。最近、日本のコンビニで同じ名前のカップ麺が売られているのを発見してビックリしたことがある。試しに買って食してみたが、本場のものよりはかなりマイルドになっていた。自分自身、二日酔いとか疲れた時には薄めた酢を飲むことを以前から実践しており、この料理、体には相当いいように思います。

西紅柿炒鶏蛋」(シーフォンシーチァオジーダン トマトと卵の炒め物)
 たぶん中国のどこの食堂でもメニューに載っている料理。数分間で出来て、旨くて、おまけに安い。何を注文するか迷った時には、とりあえずこれを頼むことが多かった。
 中国のスーパーでトマトを買ったことが何度かあるが、中国のトマトは日本のトマトよりもさらにまずかった。最近の日本のトマトは甘いだけで酸味が足りないと常々思っていたが、中国のトマトは酸味が足りない上に甘味も少なかった。

 こんなダメトマトでも、生食せずに火を通すと旨みを感じるようになるから不思議。日本に帰った時に何度か自分でも作ってみました。最初に卵を炒めてふんわり状態で取り出し、次に角切りにしたトマトを十分に火が通るまで炒め、最後に卵を戻して塩コショーだけで味付けするのがベストと判りました。

 筆者の舌は化学調味料にはかなり敏感で、大量に化学調味料が入っている料理はすぐに判るのだが、中国人は一般的にはあまり気にしていないようであった。ケッサクだったのは、有名シェフが料理長をしているというのがうたい文句の某店で食事をした時の事。メニューには、このシェフが北京や上海の有名店で修業をして来て数々の賞を獲得したと麗々しく書いてあるのだが、実際に運ばれてきた料理を一口食べたとたんに化学調味料の強烈な旨みが口中に広がった。周りを見渡すと、みんな平気な顔でパクパクとおいしそうに食べていた。

 自然素材から旨みを作り上げるには手間暇と材料コストがかかる。原価を切り詰める手っ取り早い方法は、何と言っても化学調味料の大量使用である。こういう店ほど宣伝上手で、かつ店の外観を飾り立てている傾向があるので、いわゆる有名店には要注意だ。それとは反対に、上に紹介した「蘭州牛肉麺」のように、たとえ外観が貧相な小店舗であっても、伝統の味を守っている店もたくさんある。これは日本でも同じことが言えるのかもしれません。

 モノを買う立場で出張することが大半だったので、訪問先で宴席に招待される機会も多かった。フカヒレやナマコ、ツバメの巣のスープなども賞味したことがあるが、正直言ってそう美味しいとは感じなかった(例外は上海蟹、実際旨かった)。中国人が日本でマツタケやタイの刺身を食べても、同じように感じるのかもしれない。我々は自分の舌ではなくて脳で賞味する傾向が強いのだろう。旨い不味いの判断の基準自体、それぞれの国の伝統文化の一部なのでしょう。

 華南にいた頃、新しく部門に配属された中国人社員と一緒に店で親睦会をする機会があった。ちょうど晩秋の時期で、中国人の部長が、宴会前の散歩の際にその辺の屋台で買った焼き栗を大量に持ち込んできた。皆で食べ始めると、これがほんのりと暖かくて香りも高く香ばしく、驚くほどおいしい。運ばれてくる料理はそっちのけで皆で焼き栗を食べ続け、あっというまに袋が空になってしまった。思いだしていると、その時のみんなの顔も浮かんできます。美味しい物を食べた時の情景の記憶は、何時までたっても覚えているものらしいです。

/P太拝

「温暖化の行きつく先は・・(1)」

 この冬は本当に暖かい。本日1/15までの鳥取市の最低気温を見ると、この冬にマイナスになったのは12/16(-0.3℃)の一日だけです。昨年の冬の場合、1/15までのマイナス気温の日は四日間でした。「鳥取の過去の天気」

 日本海の海面水温を見ると、1/上旬の平均水温は北朝鮮日本海側の水温が平年に比べて6℃も高い。前年に比べても7℃高い。この傾向は11/上旬から続いています。

 水温が平年よりやや高い程度なら、大陸から寒気が吹き出した際に水蒸気量が増えて山陰は大雪になるのだろうが、ここまで水温が高いと寒気も途中で弱まってしまうのかもしれない。気象だけでなく、漁業への影響も当然出て来るでしょう。

 さて、地球温暖化が急速に加速しつつあると言われ、この冬の異常な暖冬もその表れの一つであることには間違いないのでしょうが、その傾向を具体的なデータとして気温の推移を見てみましょう。

 下に日本全国の平均気温の推移、その下に鳥取地方気象台が記録した平均気温の推移を並べて示します。鳥取地方気象台の測定開始は1943年なので、それ以前の鳥取市での気温の継続的な記録はありません。鳥取の気温も全国の気温にほぼ同期して推移しいていることが判ります。

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「各地の気象データ」 「日本の平均気温の推移」 

 気になるのは、全期間をならした赤い線は別として、実際の気温推移(全国、鳥取ともに黒の線)が1980年以降に急速に立ち上がっていることです。鳥取ではこの期間の平均気温上昇は約1.8℃程度。年間で約0.046℃/年の上昇率。仮に、今後さらに気温上昇が加速することはなく、このままのペースが続くとしても、2050年には1.4℃、2100年には3.7℃、今よりもさらに気温が上がると予想されます。

 1982年(昭和57年)版の理化年表に記載されている各地の平均気温によると、この当時の鳥取市の平均気温は14.3℃。これが現在は1.8℃増の16.1℃になったとすると、1982年当時でこの値に近いのは福岡と佐賀の16.0℃、熊本の16.1℃です。この39年の間に、鳥取市が九州中部付近まで移動したことになります。

 2050年の予想平均気温の17.5℃はほぼ鹿児島に相当、 2100年の19.8℃は奄美大島あたりでしょうか。環境が激変して農林水産業は大変な打撃を受けることになります。

 世界的にも食料供給網が混乱して食料の奪い合いが起きるでしょう。今すぐに二酸化炭素などの温暖化ガスの排出を大幅に減らさなければ、子や孫の世代、さらにその先の世代が深刻な危機にさらされることは確実でしょう。

/P太拝

少し以前の中国(1)

 筆者が電気関係の会社の技術者であった頃、仕事の関係で中国には数十回も往復していました。筆者の担当は日本にあった既存の生産ラインを現地工場に移設、または全く新規の生産ラインを立ち上げることでした。中国製の生産機械の調達から始めて、工場への機械据え付け、試運転、量産開始に至るまでの各段階に立ち会ってきました。

 頻繁に中国に通っていたのは2005~2012年の七年間。前半は香港に近い華南地区、後半は北京より少し南の華北地区を拠点として中国各地に出張していました。訪問した都市は20近くを数えます。

 中国で仕事をしているうちに抱いた最大の疑問は、「日本人と中国人は外見上はほとんど変わらないのに、その考え方に実に大きな違いがあるのはなぜだろう」ということでした。色々なことを現地で経験し、さらに中国関係の本が目に留まれば片っ端から読んでいるうちにわかってきたことを、この場を利用して書いておきたいと思います。

 2013年以降の習近平政権になってからは、キャッシュレス等のIT化が一気に進んだ中国ですが、その根底に流れているものはまだほとんど変わっていないものと思います。中国に滞在していた当時、日本人の仕事仲間とよく話していたのは、「この国が根本的に変わるのには、三代、百年くらいかかるのではないだろうか」ということでした(いささか「上から目線的」ですが・・)。もちろん、我々の日本社会でも、どの方向に行くのかよくわからないものの、これからの百年のうちに大きく変わるのは確実なことなのです。

 世界人口の約五分の一、日本の約十一倍の人口を持つ隣の大国の動向が、好きと嫌いとに係わらず日本に住んでいる我々に大きく影響するのは間違いのないことです。今後、中国と対立するにせよ、協調するにせよ、まずはこの大国の実状について正確に把握しておくことが必要でしょう。筆者の経験が何らかの参考となれば幸いです。

 

(1)地理・気候

 込み入った話は後まわしにして、まずはとっつきやすい話題から始めましょう。現在の中国政府の公式分類によれば、中国の地域は大きく分けて六つに分けられ、北から順に以下のようになります。

東北地方(黒竜江吉林遼寧の三省。日本がかって植民地としていた旧満洲国に相当)、
華北 (内蒙古、天津、北京、河北、山西)、
華東 (山東、江蘇、上海、安徽、浙江、福建、江西)、
中南 (河南、湖北、湖南、広東、広西)、
西北 (陝西省以西)、
西南 (重慶市貴州省以西)。

wikipedia「中華人民共和国」

この中では、残念ながら西北地区と西南地区には行ったことがありません。(重慶で本場の火鍋を、四川省で本場の麻婆豆腐を食べてみたかった・・。)

 地形的には、華北・華東地区のうち北京付近から長江(揚子江)までの南北約千kmにわたる広大な地域は、山東省に泰山等の低い山地があるほかは、どこまで行っても平らな平原です。今の黄河の流れは山東省北部で渤海湾に注いでいますが、昔は数百年間にわたって江蘇省を流れていたこともあり(沿岸部に廃黄河という小さい川が残っている)、この約千kmにわたる平原全体が黄河の氾濫原であったともいえます。

 今は高速道路が縦横に走り、車で行き来していますが、19世紀までは馬が主要な交通手段でした。優秀な馬を持っていた勢力、即ち遊牧民族がこの平坦な地形を利用して軍事的には圧倒的優位に立っていました。そのことは、今日、馬の代わりに車で走っていても容易に想像できます。19世紀までの中国の歴史は、軍事力で圧倒する華北の勢力が、経済的に豊かな華中・華南を武力で支配下に収めて全土を統一するというパターンの繰り返しでした。

 この平原ばかりの地域を、高速道路や開通したばかりの高速鉄道(中国版新幹線)で何度も行き来したのですが、とにかく山がほとんどなくて、地平線にいたるまで、見渡す限り畑が続くというのが普通の景色です(もっとも、大気汚染のせいで、地平線まで見えるのはよほど条件に恵まれた時だけ)。

 山東省や河北省より北は冬から春までは一面の麦畑。初夏に麦を刈り取ってから家畜飼料用のトウモロコシの種を播き、秋にそれを刈り取るとまた麦の種を播く。これを毎年繰り返すというのが華北地区の普通の農村風景です。六月に華北の農村地帯の脇道を車で走っていると、舗装された道のうえ一面に大量の刈り取ったばかりの麦が敷いてありました。傍らに立っている農民から「この真ん中を、麦を踏みながら通っていけ」と手ぶりで勧められることが何度かありました。通行する車のタイヤを利用した麦の脱穀です。時間はかかるものの、投資コストはタダという脱穀方法でした。

 一方、北から河南省に入ると突如として水田が現れ、さらに南下して長江に近づくほどに水田が増え、見渡す限り水田ばかりという日本人には見慣れた風景になります。長江は幅数kmはある文字通りの大河で、揚州付近にかかっている橋から下を見下ろすと、無数の大小の船が切れ目なく列を作り長江の中心線を境として上流行きと下流行きに分かれて整然と航行していました。まさに物流の大動脈と呼ぶにふさわしい大河でした。これだけ大量の船が行きかって汚染も進んでいるのだから、長江の固有種であったヨウスコウカワイルカが最近絶滅してしまったのも、これでは当然の結果かと思いました。

 長江と常に対比される中国文明の発祥の地と言われている黄河流域についても述べておきます。。渤海湾への河口に近い地点で黄河にかかる橋を通ったことがありますが、予想していたよりもはるかに小さな川で、「これが、本当にあの巨大文明を生んだ黄河なのか?」とびっくりしました。川幅としては鳥取市を流れる千代川のせいぜい二倍くらいか。河川敷全体の幅にしても1kmもなくて、せいぜい数百m。渡った時に車の中から撮った写真を下に載せておきます。

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 あとで調べてみたら、黄河下流では1999年までは断流といって流れが消えてなくなる現象が頻繁に起こっていたとのこと。中流までは流量豊富な黄河ですが、近年は農業用水や工業用水に大量に水を取られて、下流では細々とした流れとなっているとのことでした。華北地域の水不足の現状を実感しました。

 長江より南では山がちの地形となり、一見して日本の風景とよく似た景色が続きます。浙江省の寧波市の南にあるメーカーを訪問した時には、周りの低い山並みや、狭い谷間に散在する水田の中を流れる小川の様子などが鳥取や岡山の風景と実にそっくりで、一瞬だけ日本に帰ったような気分になりました。この時に同行していた初めて浙江省を訪れた華北出身の同僚は、山間からサラサラと流れて来る澄み切った川の流れを見て、「こんなにきれいな川を見るのは生まれて初めて!」と驚いていました。

 浙江省北部は、約二千二百年以上前の戦国時代の越の国、その北にある江蘇省は呉の国です。日本人の祖先の一部は、弥生時代水田稲作の技術を携えて日本列島にわたってきた呉や越の人々であるとの説があるのですが、この風景を見ていると「その説に納得」という気がしました。

 広東省付近になると、もう完全な亜熱帯気候です。道路沿いでは農家の人がサトウキビの茎やパイナップルをよく売っていました。滞在時に住んでいたホテルのエアコンは、冷房のみで暖房機能はありません。冬でもたまに朝方などには10℃以下になることがあり、そういう時には厚着をしてベッドで毛布にくるまっているしかなかった。海沿いのせいか夏の暑さはそれほどでもないが、高い湿度と夏の夕方の雷雨の激しさには熱帯を感じました。

 対して、北京を含む華北の天気は大陸性気候というのか、夏は暑くて冬は寒い。四月末には既に30℃を超える日も出て来る一方、八月に入ると早くも秋風を感じるようになります。冬の間はほとんど雨や雪が降らず非常に乾燥していて、寒波が来るとマイナス10℃くらいまで冷え込みます。今は天然ガスの使用でかなり改善されたようですが、当時はもっぱら石炭を冬季の暖房に使っていて、その排煙と自動車の廃棄ガスによる大気汚染が深刻でした。

 ひどい時には数十m先も見えないほどの濃霧が立ち込め、こんな日には早朝から高速道路も空港も全て閉鎖。一度、12月上旬に日本に帰ろうとした時に濃霧で高速道路には入れず、やっと着いた空港では飛行機も半日以上飛ばず、結局、上海の空港で予定外の一泊を強いられたことがありました。

 一番寒い経験をしたのは二月に東北地方の吉林市のメーカーを訪問した時でした。この街から南に200kmほど行った所には北朝鮮との国境があり、有名な白頭山がそびえています。瀋陽市から車で凍り付いた道を四、五時間ほど走って、夕方にようやく着いた吉林市では既に街中が氷漬け状態。翌朝の気温はマイナス25℃くらいまでに下がっていたようです。この日の昼食に出た生煮え気味の貝を食べたら、数時間後に軽い食中毒状態となってしまい夕食をパス。その日の夜間にトイレに十回くらい駆け込んだのも忘れられない思い出です。

 当時の現地で体験した気候は上に述べたような状態でしたが、特にここ最近、急速な気候変動に伴って中国の乾燥地帯に大量の雨が降るようになり、砂漠の植生が激変しつつあるという記事が頻繁に掲載されるようになってきています。海に囲まれている日本と違って、大陸では気候変動の影響がより早く表れやすいのです。関係する記事を二つ紹介しておきます。

「中国で体験した凄まじい気候変動の前触れ「雨前線の移動」とは」

「中国・黄土高原に「緑」よみがえった 地球温暖化の思わぬ影響」 

 近いうちに、内陸の不毛な砂漠地帯が一面の大穀倉地帯へと変わる日が来るのかもしれません。温暖化でシベリア南部までもが農耕適地へと変貌し、ロシアと中国の間で、かっての領土争いが再燃するという事態すらもありうるのではないでしょうか。

/P太拝

1/25(土)に「旧市庁舎跡地利用シンポジューム準備会」を開催します。

 遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。現状、不定期なブログでまことに申し訳ありませんが、本年も引き続き当ブログを訪問していただきたく、よろしくお願いいたします。

 さて、今年の鳥取市の課題の一つとして昨年十一月に閉庁した旧市庁舎の跡地の活用問題があります。今まで市は一向に活用の具体策を示そうとしておらず、このままでは駅と県庁を結ぶ若桜街道という鳥取市の中心軸に接している、本来は市民の貴重な財産であるはずの大面積の市有地が、この先何年間も活用されないままに放置され続ける事態となりかねません。

 このことを憂慮した当「市民の会」では、市民から広く意見を聴き互いに議論を重ねたうえで、逆に市民の側から活用方法を提案していこうと考えました。

 その第一弾として今月の25日(土)の午後二時より遷喬公民館において題記の準備会を開催します。一般参加自由ですので、この問題に関心をお持ちの方はふるってご参加ください。

 詳しくは当会の公式サイトをご覧ください。

 なお同サイトには、昨年の大みそか鳥取市の人口動向等に関する記事も載せております。「自治体の人口増減は、その自治体の体温計に他ならない」と言っても差し支えないと思いますが、近年の鳥取市の人口減少速度は米子市のそれと比べて異常なほどの急減を示しています。今の鳥取市は、まさに急速な体温低下、衰退の途上にあるといって差し支えないでしょう。

 この我が鳥取市の実状を鳥取市民に広く知っていただきたいと思います。上の「準備会」の記事と併せて読んでいただければ幸いです。

/P太拝

鳥取はすでに岡山の商圏? 頑張れ!鳥取商人!

 二年前の秋、それまで畑仕事に使っていた軽トラの調子がおかしくなってしまった。エンジンをかけて走り始めると、今までは感じなかった異音が気になる。走っているうちにエンジン音が高くなってくる。少し長時間走っていると、キンキンと耳障りな音がしてうるさい。既に十数年モノでもあり、そろそろ寿命かと思い売却することにした。


 最近はネット経由での中古車業者が主流になっていると聞いていたので、朝八時過ぎにネットで中古車買取業者を検索、トップで出てきた買取サイトに当方の条件を入力して送信した。すると、送信して数分後にはこちらの携帯に電話がかかってきた。「何と早い!」とびっくりしてしまった。二日後の土曜日に査定にきてもらうことにした。業者名を控えておいてネットで検索してみると、どうやら岡山市周辺の業者のようだ。この業者を仮にA社としよう。

 その日の夕方までに、さらに三社から連絡があった。順にB、C、D社としておこう。B社は岡山市、C社は鳥取市内、D社は米子市内の業者であった。BとCにも二日後にきてもらうことにしたが、Dは六日後でないと鳥取には行けないと言う。この時点でD社は既に脱落決定。

 ここまでの経過を見ると、とにかく早く電話をかけて来た業者が優位に立てるようだ。売り手としては、この後にどれだけの数の業者が買いたいと言ってくるかわからないので、最初に接触してきた業者をどうしても優先してしまう。査定の予定日は、最初の業者の都合と当方の日程をすり合わせて決めることになる。二番目以降の業者は、自社の予定にかかわらずその面会日に合わせることを求められることになるので不利である。売り手としても、何日もかけて業者を選定するのは時間がかかって面倒なので、筆者のようになるべく一日で決めてしまいたいと思うのではないだろうか。

 さて、三社が査定に来る土曜日。午前中、真っ先に来たのは岡山市のB社。年齢が二十台後半くらいのまだ「お兄さん」といった感じの青年営業マン。エンジンをかけて異音を実際に聞いてもらう。異音の原因はあまり把握できていないように見えたが、最初から金額を提示、「有利な見積もりだから早く決めてください」と熱心に説得される。「あと二社が来るので、見積もりが全部出てから決めます」と一応断る。

 午後になってから鳥取市内のC社が来訪。営業マンは三十代くらいの中堅社員という感じ。「異音がするのだが」と話すと、実際の音の確認もそこそこに、会社に電話をかけて誰かと相談をはじめた。結局、「会社に帰って相談してから後で連絡します」と言って、金額の提示もしないで帰ってしまった。

 最後、夕方になってやってきたのがA社。後で考えてみると、他社が見積もりを出した後でやってくるというのも一つの戦略である。何といっても「後出しジャンケン」の立場に立った方が有利だ。このA社の人は五十代前後か、「社員」というよりも「大将」と呼ぶほうが似つかわしいような、いかにも個人営業業者という感じ。既に車を二台積んだ中型の専用輸送車でやってきた。早速、異音を聞いてもらう。すぐに判定が出た。「ベアリングからの音で、エンジン自体は悪くない。修理にはあまり費用は掛からない」とのこと。金額もその場ですぐに出る。B社よりも若干高い。若干交渉してもう少し高い金額で妥結。お互いにいい取引だったようだ。

 四日後にA社に軽トラを正式に引き渡すことにして、少し話をする。岡山を拠点に、東は但馬から西は出雲市あたりまでを営業範囲としているとのこと。鳥取にも契約している修理拠点があるらしい。修理してから全国的な市場(ネット上か?)に情報を上げて売りさばくとのことだった。

 A社が帰ったあとでB社が電話をかけて来た。「もう決めました」と伝えると悔しそうな口調だったが、いくらで決まったかと聞いてきたので、素直に値段を答えておいた。営業としてはなかなか立派な態度である。今回がだめでも、最低限、市場の相場情報を手に入れたことになる。次回、同じようなケースに出会えば成約する可能性は高い。C社の営業マンもあとで電話をかけてきたが、「決めた」と聞くと、成約した値段も聞かずにあっさりと電話を切ってしまった。粘りが全く足りない。

 米子のD社に至っては、査定日の夕方に「決まったから、もう来なくていいです」と断りの電話をかけておいたのに、その四日後になってから「いま鳥取に来ました、これから伺います」と電話をかけて来る有様。論外というほかはない。商売をする以前に、まず社内の連絡体制をしっかりと立て直した方がよい。

 以上の経験から見えて来るのは、全て当たり前のことでしかないのだが、以下の点である。

・専門的かつ具体的な知識を持っているものが商売に勝つ。A社の知識力は圧倒的であった。

・知識が不十分でも、営業の粘りがあれば勝てる可能性もある。B社の熱意と市場情報を得ようとする姿勢は中々のものであった。

・岡山の二社に比べて、鳥取市のC社は、知識力、営業としての粘り、ともに圧倒的に劣っていた。このC社は他の分野では鳥取市内ではそこそこ名前が知られている中堅企業であり、中古車買い取りビジネスは新規参入のようだった。しかし、新規事業であればこそ、経験を積んだベテランを配置すべきだろう。社内に適任者がいなければ、自動車修理業界から人をスカウトするくらいでなければだめだ。本業の顧客つながりの範囲内で商売をすればよいと考えているのかもしれないが、中古車買い取り業界も相当厳しい業界のようであり、人と知識に対してある程度の初期投資をしなければ到底勝ち目はないだろう。
 
 振り返ってみると、過去数年間、日用品は大規模なDIYセンターでしか買ったことがない。筆者が日頃買いに行くのは、全国展開しているチェーン店二つと、津山市に拠点があり岡山、鳥取、兵庫に展開しているチェーン店一つだ。街の金物屋さんという業態はとっくの昔に絶滅してしまった。食品スーパーにしても、純粋な地元資本で鳥取市内に拠点がある系列は、JA系以外にはもはや一社しか残っていない。

 特に排外的な思想を持っているわけではないのだが、地元資本の店をなるべく選んで買い物をするように日頃から気をつけてはいる。自分が払ったカネが地域内に再投資されることなく外に流出するようでは、この地域がさらに貧しくなることは確実だからである。その意味では、筆者は「鳥取ナショナリスト」ならぬ、「鳥取リージョナリスト」とでも言うところか。

 ただ、上に紹介した中古車引き取り事例に関しては、あまりにも岡山の業者と地元業者との能力差が甚だしかった。こんなに対応が違っていては、県外業者を選択するのもやむを得ない。

 「頑張れ!鳥取商人!」

 ぼやぼやしていると、市内の商売は全て外部資本に乗っ取られてしまいますよ。

 二年前の小さな取引の話でしかないのだが、鳥取と岡山のビジネススキルの格差の大きさにあらためて驚かされた事例だったので、ここに紹介してみた次第。

/P太拝 

最近の香港情勢から見えるもの

 あいかわらず香港情勢が気になっている。11/24の区議選で民主派が圧勝してからは、中国側も次の一手に苦慮しているようだ。この二週間の間に読んだ香港関係の記事記事の中で、これは注目すべきと思ったものを以下に紹介します。 

① 「次の世代のために自分が銃弾を受け止める番 20歳女性」 

 最近、NEWSWEEK誌が二日に一回くらいの割合で香港市民の声を紹介しており、この記事はその一部。自由を守るため、普通選挙を勝ち取り民主主義を実現するために、死ぬ覚悟でデモに参加している人たちがたくさんいるのである。

 これを読んで改めて感じるのは、わが国の最近の選挙では、投票率が50%を切るのが普通になってしまったということだ。明治維新以来の約150年間、性別・収入にかかわらず成人国民全員が参加できる普通選挙の実現のために、どれくらいの血が流されたのだろうか。もちろん、最大の犠牲は、軍と民間合わせて約300万人以上が命を落とした先の戦争であると言ってよいだろう。それまで25才以上の男子だけに与えられていた選挙権が、敗戦からまだ二か月しかたっていない1945年10月には、20才以上の全ての男女に与えられることになったのである。

 ただ、心配なのは、今の我々の選挙権は、日本の再軍国化を防ぐため急速な民主化を意図した米国によって上から与えられたものであるということだ。日本国民が直接に民主化を求めて下から権力と戦ったために、300万人もの死者が出たわけではない。日本国民が権力に対してあまりにも従順であったがために、これだけの数の日本人が死ぬことになり、さらに周辺諸国では推定でその何倍もの死者が出たのである。
「第二次世界大戦の犠牲者(wikipedia)」

  もちろん、筆者には、「米国が押し付けた憲法と共に今の選挙制度を撤廃し、自主憲法と自主選挙制度の実現を!」などと叫ぶつもりは毛頭無いのだが、「容易に与えられたものは、また容易に失いやすい」ことを心配しているだけなのである。

 現在の日本の我々が「持っていて当然」とか、「投票に行くかどうかは、その日のお天気しだい」などと気軽に考えている選挙権だが、今の香港人と同様に行動した先人達が流した血の上に獲得されたものであることを、絶対に忘れてはならない。

 

② 「香港デモ魂は既に広東へ、習主席も恐れる革命の揺籃」

 区議選の前に出ていた日経新聞の記事。いくら中国政府が隠そうとしても、香港のデモの影響が隣接する広東省にも及び始めているとの内容。これは、例えば中国側の深圳市から香港の大学や企業に毎日通学・通勤している人がたくさんいるのだから当然の結果なのだが、この記事の中の以下の部分に注目したい。

 広東省出身のBさん、香港の大学に通っていて、この夏に友人と一緒にデモに一度参加した。故郷に里帰りしたら警察に呼び出されてデモ参加を追及され、ついには香港に帰れなくなってしまった。

 「・・・香港の街中に張り巡らされた監視カメラなどで個人が特定されていたという。中国のデジタル技術の進化もあって、百万人もの抗議デモの群衆の中からでも個人を特定できるらしい。マスクで顔を隠していたぐらいでは何の役にも立たない。・・・」

 この記事からわかるのは、香港の警察が集めた防犯カメラの情報が、そっくり中国本土の警察に渡されているということだ。かっては仕事で何十回も中国に通っていた筆者だが、最近の中国に行こうという気はもはや全く消え去ってしまった。全土に何億台ものカメラが張り巡らされて、つねに行動を監視されているような国には、到底足を踏み入れる気になれないのである。

 その点、香港や台湾はまだセーフだろうと思っていたが、香港も監視体制の点では既に大陸並みになりつつあるらしい。中国系文化圏を訪問する外国人が自分の個人情報を安心して守れる場所は、今や台湾だけになってしまったようだ。

 ③ 「香港区議選:中国共産党は親中派の勝利を確信していた(今はパニック)」

 これもNEWSWEEKの記事、同紙は香港に多くの記者を配置して熱心に報道しているようである。区議選の投票前、習近平政権は結果を極めて楽観的に考えていたとのこと。筆者はこれを読んで、1950年代末の「大躍進政策」を連想してしまった。

 このwikipediaの「概説」の中の記述の一部を以下に紹介しよう。大躍進時の現場指導者と中国政府が現在香港に配置している情報網、当時の毛沢東と今の習近平とが完全に重なって見えるのである。

 「・・・同政策に意見するものがいなくなるとともに、一層無理なノルマが課されるようになり、ノルマを達成できなかった現場指導者たちは水増しした成果を報告した。そして、その報告を受け取った毛沢東は、実態を把握しないまま更なる増産を命令するという悪循環に陥っていったのである。・・・」

 毛沢東は従来の政策を反省することもなく、更なる増産を指示。その結果、一説には七千万人とも言われる膨大な数の餓死者を出す大惨事となった。当時の中国の一般民衆のほとんどが無教育であり、上部の命令に無批判に従ったことがこの惨事に拍車をかけた。なお、この頃の中国社会の実状については、例えばユン・チアンが書いた「ワイルド・スワン」を読むことでリアルに知ることができる。

 大躍進政策の悲惨な結果を受けて、毛沢東は実権を失って半ば隠居状態となり、政権の実権は劉少奇と鄧小平を中心とする集団指導体制に移った。この失った権力の再奪取を狙った毛沢東が学生・労働者を扇動して始めたのが1966年からの文化大革命であり、さらに犠牲者数を増やすこととなった。

 従来から、例えば中国のGDPの異常に高い増加率については、各省の統計担当者が相当に水増ししているためだろうと噂されていた。以前、中国駐在が長い日本人に聞いてみたことがあるが、「物流データ等から見て、政府発表の増加率の半分くらいかな。6%と言っていたら2~3%位が本当なんじゃないか。」とのことだった。「上に政策あれば、下に対策あり」というのは中国ではよく聞く言葉だ。「下の対策」とは、この場合には、水増しデータや故意に楽観的な見通しの報告に他ならない。

 「ウソの報告が多いのは、中国だから・・」と笑ってばかりもいられない。太平洋戦争中には、日本軍現場指揮官の過大な戦果や楽観的な報告を信じた大本営が、現場では実行不可能な積極的な作戦計画を連発、結果的に軍の壊滅を速めた。ドイツでも、ヒットラーの叱責を恐れた現場指揮官が故意に楽観的な戦況報告ばかりをしていたらしい。

 権力トップの独裁が強まるほどに政権内ではウソの報告がまかり通るようになり、結果的には独裁制の急速な崩壊を招くという例は、国や地域を問わず、世界史上にあまたの実例を見ることができる。

 最近では「桜を見る会」問題に関する官房長官の説明で、事実関係のツジツマが合わずに答弁に詰まるシーンが再三見られるが、安倍内閣の内部でもウソの報告がまん延し始めていることの現れではなかろうか。まあ、トップ自らがウソをついていれば、下もそのマネをするのが当たり前なのだが・・・。

 さて、習近平は香港に対してこれからどう動くのだろうか。独裁者は自分にウソをついた部下には決して容赦しないものである。今回も区議選の終了後、香港担当部門のトップを即刻クビにしたとのこと。さらに部下への締め付けを強めることは間違いないだろうが、そのことでウソをつく部下がさらに多くなるという悪循環にはまり込みそうな気配である。

 今後、対香港と対党内でさらに厳しい姿勢を取ることになれば、習体制の崩壊は意外に早いのかもしれない。

/P太拝

ミニ学習会「福島のいまと私たちの未来」に参加しました

 11/30(土)に鳥取駅南の「県立人権ひろば21 ふらっと」で福島第一原発事故被災地の現状について報告する学習会があり、参加してみました。この学習会については、本ブログの11/14付の記事で既にご案内しています。

 新聞やテレビの報道を時々は見てはいましたが、3.11の被災地の生の声を直接聴くのは筆者にとって今回が初めての経験でした。以下、概要を報告します。

 

(1)第一部 「見えない化」のすすむ原発事故と被害の現状 

 国際環境NGO FoE Japan 理事 事務局長の 満田 夏花 さんによる講演です。当日配布された資料(PDF、全12ページ)もご覧ください。資料中の下線部や手書きの書き込みは筆者によるものです。講演時間が一時間弱と短かったので、この資料の全てについて説明されてはいません。この講演を聞いて重要だと思った点を以下に挙げておきます。

 

 ① 事故被災者は国から二重の差別を受けている

 次の表は、当日資料の2ページ目と3ページ目にある表を切り出したものです。1986年に現在のウクライナで発生したチェルノブイリ原発事故と、2011年に発生した福島第一原発事故における両国政府の被災者に対する対策の比較を示しています。

 

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  現在、ウクライナは隣国ロシアと東部国境付近で戦争状態にあり、一人あたりGDPは日本の五分の一程度、欧州最貧国のひとつと言われています。しかし、被災者に対する手当の充実度では、先進国を自称している日本とは雲泥の差があります。

 強制避難地区と認定されるための放射線被ばく許容量の上限値が、日本はウクライナの四倍もあります。福島では、避難指定地区の外で自宅にとどまることで、ウクライナでは当然避難すべきとされている放射線量の四倍近くを毎日被爆し続けていても、日本政府や福島県は「安全」とみなしているのです。さらに最近では、「年間20mSvを下回ったのだから、避難地区指定は解除し避難者への支援も打ち切ります。早く元の家に帰りなさい。」と行政が避難者に圧力をかけているのです。

 さらに、この日本の避難判定基準の想定被ばく量の年間20mSv(ミリシーベルト)は、日本では白血病の労災認定基準の四倍に相当します。実際に、福島第一で作業していた男性がこの基準を超えたために2016年に労災に認定されました。福島第一で労災患者が出ている一方で、その周辺に住んでいる一般住民、労災認定者よりもさらに大量に被ばくしていると推定される一般の住民の健康被害については十分に調査されているのでしょうか?一般住民には、職業人に必携の放射線量測定バッジすら供与されていないはずです。

「白血病の労災認定の考え方について」

 また、年間20mSvは放射線関係に従事する労働者の被爆限度上限の年間5mSvの四倍に相当します。放射線作業に無関係な一般公衆の許容限度は年間1mSvです。

 普通の福島県民が、なぜ、他の地域の住民の20倍近くもの被ばくを受け続けばならないのか?国は、なぜ、このように高い被爆限度基準を維持し続けるのか?

 自分たちには何の落ち度もないのに、福島第一の事故によって住む家を追われた上に、さらに白血病にかかる目安とされる放射線量の四倍近くの放射能を浴びさせられている被災者と、この状態を八年間以上も放置し続けてその責任を一向に取ろうとしない日本政府。まさに、「福島の被災者は国から二重に差別を受けている」と評するほかはありません。

 この講演を聞いているうちに、筆者には政府に対する怒りがムラムラとこみ上げてきました。大部分の避難者が避難指定が解除された地区に一向に帰ろうとしないのも、この高い放射線量を見れば全く当然のことなのです。

 ネット上では、「避難区域に指定されていない地区からの避難者を政府が支援するのは税金の無駄遣い」、「被災者は甘えすぎだ」、等々の大合唱が起こっているそうです。

 そう言っている人たちに強く問いたい。自分と家族が、白血病になっても不思議ではない量の放射能を24時間浴び続けながら、何年間も平気でその地に住み続けることができるものでしょうか?自分だったらどんな気持ちがするのか、一度想像してみてほしいと思います。

 事故時の風向き次第では、今後、浜岡や東海村で事故が起これば東京が、福井で起これば京阪神や名古屋が、福島と同じ状況になる可能性があるのです。「日本の原発は絶対に安全で二度と事故は起こさないだろうから、自分が原発事故で被爆することはありえない」というのは、既に単なる思い込みでしかない。当ブログの2017/3/19付の記事で筆者が既に指摘しているように、強い西風が吹いている時に韓国や中国の原発で事故が起これば、大量の放射性物質が東京までも届きかねない。

 さて、上の表に示すように、被災者に対する支援もウクライナに比べれば日本は全く不十分です。一例をあげれば、ウクライナでは、国の費用で被災者が国の費用で自宅以外の安全な地域に年に三週間の保養に行く権利が与えられているのに、日本では保養に対する国からの支援は全くなく、民間からの支援でごく少数の被災者しか保養に行けていない状況とのことです。こんなに被災者の人権を無視している状態で、はたして「日本は先進国」と世界に対して自慢できるでしょうか?

 

② 福島県内よりも太平洋上に流れた放射性物質の方がはるかに多かった。

 講演の冒頭で、事故時の放射性物質の流出状況のシミュレーションが示されました。(講演のあとで確認するべきでしたが、現時点ではまだシミュレーションの出典元を確認できていません。)これを見ると、流出方向の大半は東側の太平洋方面であり、流れが福島や関東地方の内陸側に向かったのは一時的でした。日本上空を偏西風が西から東に向かって絶えず流れていることを考えると、日本海側の新潟、福井、島根、佐賀の原発で事故が起こった場合には、福島第一の場合よりもはるかに多くの放射性物質が日本列島内に降下する可能性が高いと予想されます。その場合には、東京、名古屋、京阪神などの大都市も当然汚染されるでしょう。

 なお、事故発生時に空母等で現地支援に向かった米軍による「トモダチ作戦」の参加兵士の間では、ガン等の発生率が異常に上がっているとの報道もあります。米軍当局の公式発表では被ばくは微量としていますが、上に述べたように太平洋上の方が汚染度が高かったであろうことを考慮すると、実際に彼らが高度に被爆していた可能性も高いと思います。この件については、以下の三つの記事を紹介しておきます。

トモダチ作戦で被曝した米兵たちは、そして原子力空母は

3.11から8年 “トモダチ作戦”で被曝した米兵23人が癌に」 

脱原発の小泉純一郎氏にポンと1億円を寄付した意外な財界人とは?「トモダチ作戦」被爆の米兵支援金

 

③ 福島県内の子供の甲状腺ガン患者数は急激に増加中

 当日資料の6ページ以降には、福島県内の子供の甲状腺ガンの患者数が年を追うごとに増加していることが書かれています。当初は検査方法の問題だと切り捨てていた政府側の専門家も、増え続ける一方の患者数に、さすがに県内のガン患者発生数の異常な高さを認めざるを得なくなったとのことでした。

講演者の満田さんが所属しているFoE Japanの公式サイト中の中のページ「甲状腺がんと健康被害」の中から、関連する部分を抜き出して以下に示します。

 「国立がんセンターの統計によれば、日本全国の19歳以下の甲状腺がんの発生率は10万人中0.367人とされています。 現在、福島の子どもたちの甲状腺がんの率は、約30万人中100人以上で、この数十倍におよびます。・・・」

 今の状況は、ちょうど水俣病イタイイタイ病が社会問題になり始めた1960年代当時、政府と企業の意を汲んだ御用学者どもが「政府と企業の責任」を強硬に否定し続けた頃とそっくりです。歴史は繰り返すとはよく言ったものです。過去の多くの公害病訴訟で結局は患者側が勝訴したように、この甲状腺ガン多発問題や、上に述べた不当に高い被ばく量の避難基準等についても、司法的に国側には勝ち目はないのだから、早く全面的な被災者救済に踏み切るべきです。

 それをやろうとしないのは、来年夏のオリンピックが終わるまでは臭いものにフタをしておきたい、政治トップのメンツを守りたいというだけのことに過ぎないのでしょう。国民の健康を守ることよりも、インバウンド目当ての観光業界の金儲け優先、除染作業で下請け零細企業からピンハネしてぼろもうけしている大手ゼネコンの利益優先、今後も原発ビジネスにかかわり続けようとしている愚かしい各電力会社及び日立・東芝・三菱等の利益確保最優先というわけです。

 仮に福島と同じようなことが大阪や九州で起きていたら、血の気の多い(失礼!)住民によって暴動が発生、今頃は大阪府庁や福岡県庁が占拠されていたのではないでしょうか?おとなしい福島県民が相手だからこそ、相手を舐め切っている国と関連企業が、多くの問題を強硬に隠し通そうとしているのだと思います。

 他にも福島第一原発事故に関する問題点は山ほどありますが、詳しくは冒頭に紹介した当日資料、またはFoE Japanのサイトをご覧ください。

 なお、FoE Japanは会費と寄付によって運営されている「認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)」であり、同会への寄付は来年二月からの確定申告の税控除の対象となるとのこと。同会が設けている福島事故に限定した寄付サイトを以下に紹介しておきます。ご協力をお願いいたします。

東電・福島第一原発事故「見える化」プロジェクト

 自分の稼いだカネから取られる税金が、結局は原発維持のために使われてしまうよりも、原発廃止のための活動に使ってもらった方がはるかに次世代のためになるのは間違いないと思います。

 

(2)第二部 持続可能な環境・循環・共生の社会をつくるために

 福島県二本松市東和町有機農業を実践している菅野 正寿さんによる講演です。当日の資料(PDF、全2ページ)も参照してください。

 中山間地である東和町は、以前は養蚕が盛んでしたが、1980年代に中国から安い絹糸が輸入されるようになったために養蚕業が壊滅。以降は、1985年からの完熟トマトの栽培、最近では冬場のモチ加工、残っていた桑の木の葉のお茶加工、直販所経営参加、農家民宿などさまざまな仕事を行っているとのこと。二本松市と合併してからは過疎化が急速に進んだとのことで、この点は鳥取市と合併した周辺町村とよく似ています。

 3.11の際には、避難地区に指定された東隣りの浪江町から東和町に多くの人が避難してきたが、避難経路にあたる峠の向こう側の谷が高濃度に汚染されていたために、そこで被ばく量が増えた人が多かったとのこと。避難してきた人は、その後三~四回も引っ越しを繰り返し、その過程で福島県内では約2500人もの人が無くなってしまった。福島県内で津波でなくなった人の1600人よりも多い。3/23に農産物が出荷停止になったことでキャベツ農家の人が自殺、さらに畜産業者の人も自殺した。浪江町などの除染地区では、現在も農業を再開する見通しが立っていない。除染でゼネコンが儲けただけのことだった。

 現在でも森の中の汚染が続いているため、福島県内産の原木シイタケは全滅、野生のキノコなども出荷できない。ただし、畑や水田で栽培しているコメや野菜などは全数検査しているが、最近は出荷基準を超えるものは出ていない。

 この理由は、当初は汚染が土壌表面から5cm未満の所に集中していたが、深く耕うんするいわゆる「天地返し」によって植物が吸収する深さでの汚染濃度が減ったこと、土壌に堆肥などの有機物をたくさん入れることによって放射性セシウム有機物に吸着されて作物に吸収されにくくなったことなどによる。結局、昔から続けて来た農業技術が、汚染対策としては一番有効だった。

 現在、避難指定地区は、国と大企業によるロボットやドローン、トラクターの無人運転等の実験場と化している。それとは対照的に我々は、農家民宿に泊まりに来た人々や町外から招いた障碍者に農業を体験してもらいながら、「高齢者・障碍者と共に働く農業」を目指している。

 

(3)第三部 グループディスカッション

 筆者は残念ながら所用があり、参加せず会場から早退しました。後で参加者に様子を聞いておきたいと思います。

 なお、この集会の参加者は約30名。その中には元倉吉市長の長谷川稔氏の姿もありました。カネのニオイのする会合にしか出てこない自称政治家(その実質は職業としての政治家を選んだだけの単なる政治屋)が多い中で、県議を勇退されてもなお社会問題に関心を持ち続ける同氏の姿勢には敬服しました。

 

(4)参加しての感想

 最初に触れなければならないのは、筆者は福島の現状について今まで大いに誤解していたということです。新聞の見出しやテレビニュースの一部だけを見て、「避難指定が解除される地区も徐々に増え、復興は順調に進んでいるのだろう」と単純に思っていました。その考えは、上に挙げたように、福島とチェルノブイリの避難判断基準となる被爆許容上限値が四倍も違うという表を見たとたん、一気にひっくり返ってしまいました。

 筆者は理系の出身なので、大学生だった頃(40年以上前・・)には、「放射線防護に関する講義」を義務として受ける必要がありました。数学系を除けば、理系の大半の学生は実験などで放射性物質を扱う可能性があるため、現在でもこの講義は必修となっているのではないかと思います。

 当時教わったのは、「放射性物質を扱う職業人や学生は、年間被ばく量を500mrem(ミリレム)以下に抑えなければならない」ということでした。その後、単位系が国際的に統一されてレムの代わりにシーベルトが単位として使われるようになりました。500mremをシーベルトに換算すると5mSvになります。要するに、職業人の年間被ばく量の上限は40年以上前からずっと同一の値なのです。

 この講義で繰り返し注意されたことは、「放射性物質を扱うものは、絶対にこの年間被ばく上限量を越えないように、絶えず放射線測定値に注意しながら仕事を進めなければならない」ということでした。その上限値が、福島では普通に暮らしている一般住民に対して職業人の四倍に、他の地域の一般住民の二十倍に引き上げられ、その後現在に至るまで八年間以上も放置されたままなのです。「人権無視の言語同断な政策」という以外には言葉がありません。 

 講演でいただいた資料の確認のため、チェルノブイリでの年間被爆量上限値について、自分でも少し調べてみて次の資料を見つけました。

wikipediaの「シーベルト」の記載中の「基準」というところを見てください。チェルノブイリでは一年目の上限値が100mSv、二年目は30mSv、以降は年々切り下げられて、五年目には20mSv、六年目以降は5mSvで一定のままとの記載があります。

 一方、福島では一年目が20mSvとの記載です。この表の出所文献は2012年末に公開されているので、その後の福島の上限値を別の資料で調べました。その結果は、八年以上経過した現在でも20mSvのままでした。現在、日本政府は除染目標の20mSvを達成した自治体に対して、次々に「避難指定解除」を宣言し続けています。

環境省 除染情報サイト 除染の目標

 政府の公式サイトを見ると、たぶん意図的なのでしょうが、「年間20mSv」という値の記載を極力避けて「時間当たりの許容被爆上限値〇〇μSv」というような表現に変えている例が目立ちます。故意に、年間上限値に換算しづらいような数値に変えて公表しているのだと思います。役人が良く使う「姑息なゴマカシ」の典型的な手法です。

 次のサイトの「3.3 避難区域の再編」の所を見てもらった方が判りやすいでしょう。一部抜粋すると、「・・・避難指示解除準備区域は年間20mSv以下の地域に対して指定された。除染が終わった地域は順次解除され・・・」とあります。この解除宣言に素直に従って元の家に帰った人たちは、今後、年間20mSvに近い放射能を長年にわたって被爆し続ける可能性が高いのです。

福島第一原子力発電所事故の影響(wikipedia)」

 参考のために、下にチェルノブイリと福島の避難基準の経年比較を示しておきます。安倍政権になってからは、この基準は全く見直しがされていません。ウクライナで既に実施していることが、なぜこの日本ではできないのでしょうか?一般人に職業人の四倍もの放射能を浴びさせたまま放置し続けるのは、完全な人権侵害にほかなりません。

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 さて、この日本政府の方針は極めて危険と危ぶむ国連からは、昨年十月に下の記事に示すように、「全面的帰還時の目標を被災していない地域と同様に1mSv以下とするべき」との指摘が出されました。この指摘に対して、在ジュネーブの日本政府代表者は「風評被害の恐れを招く」と、日本にしては珍しく国連の指摘に対して猛烈な批判を加えたようです。たぶん、首相官邸から現地の政府代表者に対して直接の指示があったのではないでしょうか。

「子ども帰還見合わせ要請 国連報告者「年間1ミリシーベルト以下に」」

  実際に子供のガンも増えているし、もはや「風評被害」どころではなく「実際の被害」が出ているのは明白なのですが・・。

 当初の基準20mSvを決めたのは民主党政権ですが、事故の一年九か月後に政権を引きついだ安倍内閣になってからは、この年間被ばく量の上限値は全く変わっていません。せめて、チェルノブイ並みの5mSvに早急に変更すべきでしょう。

 国民の安全よりも、オリンピックのお祭り騒ぎと大企業の利益の拡大の方を重視する安倍内閣の本質が、こんなところにも明確に表れていると思います。この問題の重要性は、今話題の「桜を見る会」どころの話ではありません。我々国民、特に次世代を担う子供たちの命に直結する大問題なのです。 

 さて、最後に福島県、並びに東北地方への応援メッセージを、この場を借りて書いておきたいと思います。

 筆者の義理の姉は福島県の出身(避難指定地区外)です。また、こちらに帰ってくるまで住んでいた東京周辺で頻繁に付き合っていた友人・知人には東北出身者が数多くいました。この講演で菅野氏の福島なまりの説明を聞いているうちに、久しぶりに彼らのことを思い出しました。

 東北の人は山陰人に似て一般に地味でおとなしい傾向がありますが、彼らの心の中には何か大きな余裕のようなものがある、都会の出身者にはないものがあると常々感じていました。表面的には地味で控えめに見えるものの、心の底には楽天的なものが隠れているというか、自虐的なことも言う一方で、心のどこかにいつも青空を抱えているような人達だと思っていました。宮沢賢治の童話を読んでいて感じるユーモアや明るさと大いに共通するものがあると感じます。

 有史以来、東北地方は冷害や中央政府からの冷遇に耐え続けてきました。明治維新の際、薩長土肥からなる新政府は、「白河以北、一山百文」と言いはなって東北を侮蔑しました。そもそも、原発原発から出るゴミの処理場を東北地方に集中させたことも、3.11後の被災者への処遇を見ても、中央政府による新たな東北への差別の現れと捉えることができると思います。

 しかし、東北の人たちはどこまでも辛抱強いし、打たれ強い。故井上ひさし氏が書いた「吉里吉里人」にあるような「東北人による独立国家樹立」とまではいかないまでも、3.11にめげず、中央政府に頼らず自立した地方自治と経済の確立を目指して、これからも頑張っていただきたい。心の底からそう願っています。

/P太拝 

新刊書の紹介、「水道が危ない」

 先月末の10/30付で朝日選書より「水道が危ない」という新書が刊行されました。この本では、鳥取市が住民の反対を押し切って建設した巨大浄水場についても触れています。以下に概要を紹介します。

 著者の菊池明敏氏は、岩手県北上市に勤務の頃に全国に先駆けて上水道事業の周辺自治体との統合を先導された方とのこと。もう一人の著者の菅沼栄一郎氏からの紹介によれば、同氏は、「近くの花巻市紫波町に統合を持ちかけ、「水道の将来は厳しい」と説き、2014年に岩手中部水道企業団に統合。五浄水場を廃止し、将来の76億円の投資を削減、画期的な改革と注目された。」とあります。

 各章の項目名を以下に挙げておきます。この項目からだけでも、ある程度はその内容を推察できるでしょう。

第一章 「現代の水道 三つの顔」

 ・少人数で奮戦 簡易水道
 ・「水道水を飲もう 東京で動く」
 ・「漏水は全国各地で 北上市の水道管大漏水事故」

第二章 「水道の厳しい現状と持続に向けた方策」
 
第三章 「民営化より統合」先進地から

 ・ダウンサイジングのトップランナー 岩手中部の広域統合は今も進行中
 ・奈良県の「トップダウン」型水道改革
   新井正吾 奈良県知事インタビュー

第四章 「水余り」負の遺産

 ・胆沢ダム「建設仮協定」廃止の決断
 ・「一滴も使われなかった」ダムが三つ
 ・「水余り」がダム建設を中止に 最前線にいた二人

第五章 「おいしい水」って?

 ・「おいしい水」をつくる緩速濾過法を提唱
   鳥取市の「まぼろし住民投票
   片山善博 元鳥取県知事インタビュー

 

 第五章では、緩速濾過法の紹介に関連して、鳥取市の「浄水場建設をめぐる住民投票請求」が市議会によって否決されたことについても触れられています。当時活躍された元市議のお二人の写真も載っています。また、元知事(前知事では?)の片山善博氏も、鳥取市民の一人としてこの住民投票請求に署名されていたとのこと。このインタビューの中の、知事と巨大浄水場建設の必要性をまともに説明できない当時の市水道局幹部とのやり取りについては、なんとも笑うほかはありません。

 今後の水道事業の維持に不安を感じている方、さらに、今後の国・地方のインフラ維持に関心のある方には必読の書だと思います。

 なお、アマゾンや楽天を通じて通販で書籍を購入するのは大変便利ですが、あまりそればかりに頼っていると近い将来、街の本屋さんが全て無くなってしまいかねません。書店店頭で直接手に取って面白そうな本を探すという日常のあの楽しみを、我々自身の手で消してしまうことになりかねません。たまには書店店頭で購入、または購入予約されてみてはいかがでしょうか。鳥取市のことが載っているこの本は、まさに地元書店での購入がふさわしい本だと思います。

 また、書籍に限らず、地元で買い物をするということは、自分の地域内で循環するおカネの量がその分だけ増えることを意味しています。地域内の雇用は地域内を循環するおカネの量に比例するので、地域外での買い物が増えることで地域内雇用の縮小に拍車をかけることになります。人口減少を憂慮していると言いながら、その一方では通販でせっせと市外からモノを買っている生活を続けていては、自分の子供や孫の世代が職を求めて鳥取市外にさらに流出する結果を招くこととなるでしょう。この問題については、今後改めて記事にしたいと思っています。

/P太拝